番外篇「約束」

シアターΧにて、高校演劇を鑑賞。
シンクロナイズの「ケイコバッテナニ?ワークショップ」にも参加してくれた本所高校演劇部の地区大会である。
上演作品は『約束』。
阪神・淡路大震災をテーマに、今は亡き息子と現在を生きる家族の姿を描いた作品。
そう、シンクロナイズの作品だ。

大会には上演時間1時間という制限があるらしく、元々2時間近くある作品を学生自らテキストレジし、まとめ上げた。

過去出演者たちと鑑賞。
不思議なものである。自分の作品をお客さんとしてみるこの体感。
出演者の面々も、演じ手として板の上や袖からみる光景とは違った視界に、
なぜかスリルとサスペンスを体験するかのようにテンションが上がっているのが感じ取れた。

一度稽古を拝見させて頂いた。
模索しながらも、意見を交わし、高校生ならではの『約束』に向かって稽古に励んでいた。
彼ら彼女らなりの解釈、思い、発想があることを嬉しく感じ、それほど作品の中身については触れなかった。
作者としてはもうすでに手は離れ、その作品は彼ら彼女らの『約束』なのだから。

「稽古以上のものが上演では出るわけがない。」
とわたしは彼ら彼女らに伝えた。
稽古しなければ台詞は出てこない。
稽古しない限りソングは歌えないしもダンスも踊れない。
稽古しなければ平常心は保てない、硬直はとれず脱力もできない。
無形の形や火事場の馬鹿力は稽古があって出るものだ。
「備えあれば憂いなし」である。

本所高校演劇部『約束』は感動的であった。
日頃、稽古場で「エモーショナル」という言葉をよく使う。
物言う術や身体の利き、役作りの掘り下げなど、技術は未熟。
それでも、「エモーショナル」な『約束』は、彼ら彼女らの「備えあれば憂いなし」の結果であった。
だからこそ「エモーショナル」な彼らに「感動」するのである。

上演した私たちも驚くほどの、その絶妙の間や呼吸。
今の私たちにはかもし出せないその愛らしさ。
その時代、その瞬間にしか出せないその魅力。
今の私たちには到底出来っこない。

終演後の私たちは互いに顔を見合わせて笑顔今までみたこともない笑顔であった。

「オシバイッテナニ?」
再確認する大人たち。芝居を観た後、話題が膨らむ。こんな充実はない。
そして、そのことが次の私たちの芝居に繋がっていくのだ。

「お芝居は、人生の縮図、断片、一瞬、そして生きるということ」なのだ。

2008年秋