シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー7

稽古場日誌を書いているうちに、
ヒストリーいつ書くのん?と思っているうちに
あらら、最終公演が終わってしまいました。

皆様、ご来場頂きまして、本当に本当にありがとうございました。

お客様おひとりおひとりから沢山のお言葉を頂戴して、心からやってよかったと感動しています。
演る(やる)側の思い、観る側の思いが、ひっついたり、はなれたり、共感共鳴し、響きあってこその劇空間ですね!
今回の作品は、この20年間を凝縮して詰め込んだような作品になりました。
良しも悪しも、上手も下手も、美も醜も、表も裏も、全部ひっくるめて舞台にぶちまけたからこその、未来の明暗が描かれたのだと思います。
(そんな大層だったか?)

ヒストリーもうちょっと書きます、書かせて下さい。

さてさて、8年前。
ベニサン・ピットでの上演を再び許されての公演3連チャン。

2006年2月シンクロナイズ・プロデュース第16回公演『最初で最後の晩餐』

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今気付いたのですが、この作品、上演当時から20年前の高校時代を振り返る作品でした。
シンクロナイズ・プロデュースは今回といい…結構振り返ってますなぁ。


supper_08185年はバブル真っ最中、タイガース日本一、その20年後は、勝ち組負け組み、地震、テロ、偽装偽造、タイガーズ惨敗…ふと見渡せば360度、虚無感に覆われ始めていました。
そんな時代を投影したノスタルジックな作品。
私は役作りのため美容室で80年代アイドル年鑑を片手に「聖子ちゃんカットではなく明菜ちゃんカットにしてください」と恥ずかしいお願いをしたのも、今はいい思い出。


2007年1月シンクロナイズ・プロデュース第18回公演『生まれし君に、伝えたかったこと』
born_084 離別した両親の元で別々に育った兄弟が再び出会う家族の話。
父に育てられた娘、母に育てられた息子、周りを取り巻く人々が其々の場所で生きている様を優しく描くヒューマンドラマ。


余談ですが、シンクロナイズ・プロデュースの作品群の特徴に「ムーブメント」というものがありました。
2008年以降の次への回路シリーズにはパタッと登場しなくなりましたが、この「ムーブメント」、どんなものかといいますと、まるで映画のスローモーションのような動きで人々が交差する、「群像風景表現法」とでもいいましょうか。
訓練にはそれなりの大変さが伴い、あるプロのパントマイマーが観て「いったいどういう動きでしているの?あんなノスタルジックなスロー歩きを見た事がないよ」といわれたことも。
 born_105これはシンクロナイズ・プロデュースの発明の一つでした。
映画監督ジムジャームッシュの「パーマネントバケーション」オープニング、街の人々が行き交うシーンを動きの参考に して、初めて原型が登場したのは第3回公演「empty」。
そこから始まった「ムーブメント」は10年の月日をかけて徐々に進化を遂げ、久次米さんが「これ以上もこれ以下もない」と言って終止符を打った完成形が、この『生まれし君に、伝えたかったこと』のラストシーンでした。

2007年8月シンクロナイズ・プロデュース第19回公演『「おしっこ」僕のヒーロー探し』

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詩人の谷川俊太郎さんの詩「おしっこ」をモチーフにイメージを膨らませた作品。

「おしっこ」の詩はこちら

久次米が俊太郎さんに面と向かって「おしっこさせてください」と、他人様が聞いたらギョ!のお願いに「いいよ」と快諾を頂いての上演と相成りました。


初めて芸術文化振興基金を有り難く頂戴しての公演は、平和ボケ日本を批判した日本語をほとんどしゃべらない「外国語のような出鱈目語」で全編貫き通す、キワめて演劇的なキワモノ作品。
助成金使っていいのだろうか?
 oshikko_024主人公が日常を抜け出したいと漠然と思い、漠然と海外に行き、いろんな国をいきあたりばったりに漂流し、何も見つけないで漠然と日本に帰ってくるという、恐ろしく平和な作品。

作中ではいつまでたっても日本語を喋らないので、(もちろん字幕もない)お客様はは多大な想像力を働かせて観るしかないという大きな負担を強いる作品でした。
でも、日本人が海外に放り出されたら、そんな感じでしょ。
いまだに隠れ「おしっこ」ファンが多いのもこの作品の面白さを物語っています。


久次米は、実はこの頃から「ヒューマンドラマ」の作・演出に飽き飽きしていたと、私は分析しています。

そして、
2008年1月シンクロナイズ・プロデュース第20回(10周年記念)公演ピッコロシアター鑑賞劇場『約束』
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神戸の震災をモチーフに描いた久次米の代表作を、関西の故郷ピッコロシアターで再演することが出来ました。

ピッコロシアターのブログはこちら

この約束という作品、何もない空間(empty space)に細いシルバーの棒だけで空間を作っていきます。


このシンプルな空間で繰り広げられる映画のカット割りのような短いシーンの連続が、余計な背景を一切排除し、人と思いと記憶だけが闇の中から浮き彫りになる効果を生み出していています。
お客様から最も再演の希望を頂く作品ではありますが、役者にとっては最も再演したくない作品なのです。
なぜなら…棒の稽古が大変!めっちゃ大変!死ぬほど大変!と出演者全員が口を揃えて叫ぶほど大変だかです。
promise2_179絶対に失敗出来ないという重荷を各々背負わされ、その失敗を誰もフォローすることが出来ないという、絶体絶命の綱渡りを2時間架せられ、これ以上口では説明できません。
自分が演技をしている間だけが一番緊張しないホッとする時間だなんてこ と、ありえますか!?無理無茶難題を平気でやらせる鬼演出家め!

でも、そこまでして一切の妥協を許さなかった「約束」という作品は、シンクロナイズ・プロデュースの久次米作品の集大成としてひとつの区切りを付けました。


このあと、「創作しばらくやめる」宣言をした久次米さんは、原作を舞台化する試みに挑みます。
それが、シンクロナイズ・プロデュース「次への回路」シリーズでした。

つづく。