シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー6

稽古場日誌の合間をぬって…
シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー6です。

「ベニサン・ピット」は演劇人の憧れの劇場でした。
ニナガワ・スタジオ、T.P.T.、二兎社が拠点とし、
1985年以降の演劇シーンに大きな影響を与える実験的な演劇作品が次々と生まれた、
演劇人には敷居の高い(クオリティの高い)劇場でした。
そこは、「現代演劇」の聖なる場所だったのです。

さてさて、11年前。

銀座や新宿の小劇場で上演してきたシンクロも、だんだんとお客様が増えてきました。

「もうちょい大きい劇場でやりたいね」
ということで、100~200人収容の劇場を探し始めました。
とにかく東京は土地代が高い!ということは劇場費が高い!!という理由で、この100~200人というキャパシティは一つの区切り線でもありました。
この人数のお客様を1週間ほど劇場を借りて集客するためには、それなりの制作力が必要になってきます。候補の劇場を検討しながら試算しましたが、なかなか目ぼしい劇場が無い。
ただ条件が見合ったら良い訳ではなく、その劇場がシンクロ作品の雰囲気にマッチするかどうかが最も重要なのです。私に無謀な願いが湧き上がりました。

「ベニサン・ピットで演りたい」

benisan_01演劇の聖地ベニサン・ピットはそれはそれは凄い劇場空間でした。
劇場そのものがなにか生き物のようで「演劇の神様」が住んでいるようでした。
シンクロがそこでやりたいなんて、身の程知らずもいいところ。
でも、「駄目で元々!」と制作に何度もしつこく電話をかけてもらうようにお願いしました。

ベニサン・ピットの劇場支配人の瀬戸さんは一筋縄ではいかないことで有名でした。
あたって砕けろは全く通用しません。たとえ有名人だって気に入らなきゃ平気でお断りされる方です。
それが、何の間違いか隙間の3日間だけ貸してもらえることになったのです。

「やったー!!」私たちは、早速企画を練り、出演者オーディションをしました。
この時から、男性の役者も出演するようになりました。

komorebi_0082003年8月
シンクロナイズ・プロデュース第12回公演
「僕が、木漏れ陽の道を歩くとき」
於:ベニサン・ピット



人生をなんとなく他人事の様に生きている主人公と、その周囲の人々を描いたこの作品は、
日常ディテールを細かく描くことで、劇場を出た後も芝居の延長線上に日常生活があるような錯覚を抱く作品でした。
ここで作ったモチーフたちはその後2007年の「生まれし君に、伝えたかったこと」という作品で再登場することになります。


しかし…とにかく必死でやり終えた私達は、
どうも気づかないところで支配人さんを怒らせていたようで、
「二度とお前んちには貸さない!!」と劇場から追い出されたのでした。
唖然。

せっかく頂いたチャンスを何の不手際か無駄にしてしまい、もう二度と使わせてもらえない。私のショックは相当なものでした。
また、振り出しに戻って劇場探しです。
悔やんでも悔やみきれない、諦めたくても諦めきれない。怒らせてしまった理由が分からない。ああ神様リベンジのチャンスを下さい!!

goroujin_0062004年1月
シンクロナイズ・プロデュース第13回公演
『踊るご老人』
於:アイピット目白


promise_0892004年10月
シンクロナイズ・プロデュース第14回公演
『約束』
於:中野ザ・ポケット


この『約束』という作品、神戸の震災をモチーフに描いた久次米の代表作ですが、その初演を、ある有名俳優さんが出演者の関係者として観に来てくださいました。
そして、観劇後大変なお褒めの言葉を頂きました。その俳優さんはベニサン・ピットで上演される数々の名作にも出演されており、支配人とも懇意にされていました。
どうにかしてもう一度支配人にお目にかかって頭を下げてお願いしたいと思っていた私達は、切羽詰って、無謀にも劇場出入り禁止になったことを相談させてもらいました。
すると、その俳優さんは一筆書いてあげるよ、と言って支配人宛てにお手紙を書いてくださいました。

「-彼らは、とてもいい芝居を創っています。是非話を聞いてやってもらえませんか-」

そうして再びお会いすることを許された私達は、震えながら劇場に会いに行きました。
支配人がその手紙を広げながら、「しょうがないから、まず公演を見せなさい」とおっしゃいました。
こんなことってあるだろうか!?ありがたくて、ありがたくて、心臓はどきどきです。

family35_22005年8月
シンクロナイズ・プロデュース第15回公演
『恋愛家族〜死に急ぐ少年達のポリフォニー〜』
於:アイピット目白


この作品は、少年事件、法務教官と少年の面接が続くシュチュエーションを通して、その頃世相を色濃く描いたものでした。
作品の出来はなかなか良かったのですが、お客様が身動き出来ない程パンパンで立ち見の回もあり、これでは折角観に来てくださったお客様に申し訳ない。
劇場のキャパシティは限界でした。

観劇後支配人は、「台本はなかなかいい。あれじゃあお客がかわいそうだ。おれんち使っていいよ」とおっしゃって下さいました。
私は、うれしくて、ありがたくて、泣きました。
それからの4年間、本当に感謝しても感謝しつくせないくらい良くしてくださり、色々な話を聞かせてくださり、相談にも乗ってくださり、毎回毎回、公演の際には役者スタッフ全員にご馳走を振舞って下さいました。
benisan_02ベニサンピットでの公演

「最初で最後の晩餐」(2006年)
「生まれし君に伝えたかったこと」(2007年)
「おしっこ」(2007年)
「夏の路地」(2008年)


演劇を愛し、舞台人を愛してくださった瀬戸さんは、本当の意味での昔堅気の「劇場支配人」だったと思います。
2009年1月ベニサン・ピットの閉鎖は演劇界でニュースになりました。
私達も次年度公演を予定していたため驚きましたが、それでもベニサン・ピットを最後まで使わせていただいて創った作品達は、シンクロナイズ・プロデュースの宝物です。

つづく
水谷純子