シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー3

昨日、(2014/06/21)は、シンクロナイズ・プロデュース第28回公演(プロデュース最終公演)の顔合わせがありました。

いつもそうなのですが、久しぶりにシンクロナイズの稽古場に「おはようございます~」と続々と集まってくるその姿は、ちょっと照れくさそうに、初々しく、そう! まさに夏休み明けの新学期のような顔で参集するのです。
年齢は違えど、まるで「同級生たち」のような。


初演前のスタジオ

初演前のスタジオ

さてさて、17年前。
あれよあれよと稽古場の大改造を経て、立派にスタジオ公演が出来るまでの環境を整えました。
創立中心メンバー10名の他に、関西からも久次米さんの同級生たちを中心に助っ人ダンサーたちも加わっての旗揚げ公演でした。
信じられない贅沢な人材と環境。


シンクロナイズ・プロデュース第1回スタジオ公演、初日、開演。

開演前の音楽『カルミナ・ブラーナ(ラテン語:Carmina Burana)』が大音量で鳴り響く中、暗転。
冒頭ムーヴメント(舞踊シーン)スタート…
すると、スピーカーから「ボンッ」、という変な音。

え・・・・?!

オープニングの音楽が消えてなくなりました。
そう、それは、CDデッキが「goodbye」した音でした。

役者人全員に一気に緊張が走り…スタッフ全員に焦りと冷や汗…
「やばい、どうしよう」

作品はミルトンの『失楽園』を題材にしたもので、舞台道具を一切飾らず、身体表現と言葉だけでストーリーを物語る作品で、
いわゆる舞台空間のイメージは全体の動き(ムーヴメント)で音楽に合わせて舞踊的に振り付けられていました。

舞台には魔物が住んでいるから、思いがけないアクシデントや事故はつきものと、常々覚悟はしているものの、
まさか最初の最初で音楽が鳴らないなんて!そんなことが本当にあるなんて!旗揚げ一発目でこけるとは!稽古してきたものが一気にガラガラと崩れ去る瞬間。

「どうする?」
頭の中は走馬灯のように駆け巡ります。

音楽を中心に作品が作られている為に、音楽が鳴らないことは致命傷だったからです。

しかし、舞台の幕は開いてしまった。
舞台人の暗黙のルールは、「お芝居は人生と一緒、一度始まった舞台は何が何でも続ける」。
虚構の世界だからこそ、覚悟を持って本気で最後までやり遂げなければならない宿命です。目の前にはお客様。

「無音でやる」

瞬間的に覚悟を決めました。

稽古はやるだけやった。動きもタイミングも身体に入っている。
ならば、あとは、全員の呼吸を合わせれば出来る、きっかけは呼吸でとる。
小さな声で、「大丈夫」と言ってから、舞台上に出て行きました。
振り付けのタイミングタイミングでお客様に聞こえない程度の「シュッ」という息の合図を出しながら、全員の呼吸を合わせてムーヴメントは進んでいきました。
そうして、最初から最後まで一切音楽が鳴らない無音の舞台は、役者の「からだ」と「ことば」と照明の「光」だけで幕を閉じました。

終演後お客様に、
「こんなに静かな舞台を見たのは初めてだ」
「舞台では常に音楽が鳴っているのに慣れてしまっていたから、無音がすごく新鮮だった」
「無音の音楽が流れていた」
という、言葉をかけてもらいました。何よりのなぐさめでした。

今から思い返すと、青臭くて、思いだけが強い、つたない、稚拙な舞台だったとは思うのですが、
それでも奈落に突き落とされたような最悪の始まりに舞台度胸がついた私たちは、その後何度となく訪れる舞台の魔物に立ち向かうことが出来たのだと思います。

大丈夫だと「信じる」こと。
それは、全て稽古にかかっています。
全身全霊をかけて稽古に向かう。すると、作品は作品になろうとする。その作品に賭する。
稽古(練習)があっての上演(本番)なのですから。

それにしても、ミルトンの失楽園は創世記をテーマにしたお話。
楽園を追放されたアダムとイヴの世界は光と闇と言葉だけだったろうから、最初「音楽」はなかったのかもしれないなと、今更ながらふと思います。作品的には正解だったのかもしれません。
ちなみに終演後「あ~怖かった」と泣きながら、2ステージ目からは無音で演じる度胸はこれっぽっちも無く、スピーカーから「音楽」が鳴り響く中で作品を上演しました。

シンクロナイズ・プロデュースの公演は、そんな波乱の幕開けだったのです。

つづく
水谷 純子