シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー 2

シンクロナイズ・プロデュースを終了すると告知をしてからこの2週間、
ほぼ毎日のように関係者から連絡をいただき、時間の許す限り会って事情を説明しています。
ふり返れば、この18年間で仲間と個人的に外で会って話をすることは皆無でした。
シンクロナイズはいつもそういうスタンスだったのです。

しかし、今回改めてひとりひとりと話をするうちに、本当に沢山の人々がこの場所に集ってきたのだなと感慨深くなりました。
やはり創造現場は喜びも悲しみも光とされる素敵な空間だったのでした。そして、これからはまた新しい繋がりに変わっていくのだと、嬉しくもなりました。

さてさて、前回の続き。
18年前に戻ります。

『シンクロナイズ・プロデュース』という名前が決まり、コンセプトも決まり、参加してほしいメンバーにも声がけをし、だいたいの目処は立ってきました。
あとは、どこでやるか。
活動拠点を探さなければなりません。

私の恩師は、「お芝居するなら、まず拠点を持ちなさい」と常々若手に教えていました。
その言葉を鵜呑みにし、「まず稽古場探さな!」ということで、その前に「まず家探さな!」ということで、地図を開きました。新しい活動は新しい場所で始めたい。

東京に来て1年目、多摩川沿いの狛江という町に住んでいた私は、ビルばかりの都内の空になじめず多摩川の空の広さにホッとしていました。
ですから、引越し先は多摩川のそばがいいな~と、それだけを決めていましたので、多摩川が流れている場所の地図のページを開きました。
アホみたいで嘘のような話なのですが、私は人差し指をペロッとなめ、天を見上げて指を差し上げ、そのまま目を瞑って、指先だけを地図の上に下ろしました。そして、地図に目を下ろしました。
「二子新地」
に指先がありました。
そうして、どっちにしろ、どこにいっても良いのだから、行った事も降りたことも無い「二子新地」の駅に行ってみようということで、二子新地駅に降り立ちました。

当時、久次米さんは設立メンバーの後輩作家、後輩俳優との三名でのルームシェアを検討し、同じく稽古場に近い家を探していました。

私たちは、旧大山街道をなかなか素敵な道だな~と思いながらテクテク歩いて、二子新地~高津~溝ノ口まで行きましたが条件に合う良い物件はありません。高津駅に戻ると、2軒並びの小さい不動産屋があって、その片方がどうしても気になり入ってみることにしました。
すると、出迎えたのはチャキチャキの女性の社長さんでした。

「どういう物件探してるの?ふんふん、条件にぴったり合う物件が今建設中よ!新築だけど下が店舗でワンフロア2世帯だけだから、夜中にうるさくしても大丈夫よ!おじょうちゃんは1DKの方、久次米さんは2DKの方、ばっちりじゃない!夢があるんだったら、予算よりちょっと高い物件にしなさい!さあ、見に行きましょう!」

ということで、見に行きあっという間に契約しました。予算は大幅越えでしたが、しかし、が、がんばるしかない!

ということで、無事「二子新地」のに住まいを移した私達は、マンションのこれもまたチャキチャキの女性の大家さんに挨拶をしに行きました。
すると久次米さんが会って早々「僕達、演劇をやっているので、どこかこの近くに稽古場になるような場所ないですかね~?」と言いました。
「この人、誰にでも遠慮なくて図々しいな~」と心ひそかに思っていました。だって、稽古場なんてそう簡単に見つかるもんじゃありませんからっ。
どこの劇団も稽古場無くて困り果てているのですからっ。
関西からは、仲間が着々と二子新地周辺に住まいを移動し始めていました。

さて、1週間後。工事前の稽古場
大家さん「稽古場みつかったわよ」
私たち「え“えええ~~!!!!ほんまですか~~!!!!」
大家さん「近所の左官屋さんの倉庫なんだけど、話しといたから紹介するわ」
そういって、紹介されたのは、現在の稽古場がある建物の今まで以上に輪をかけたチャキチャキの女性の大家さんでした。
「とにかく、何やってるか分かんないから、その稽古とやらを見せてくれる?」倉庫に集まったメンバー

そう言われた私達は、左官道具のいっぱいで埃まみれの半地下の倉庫で、基礎訓練とちょっとしたエチュードを見てもらいました。

腕組みして何にも言わずじっと見ていた大家さんは、「ラーメンの出前取ってあげるから食べる?」と言いました。
ボンビーで腹ペコの私達は大喜びで頂きました。
そうして、大家さんは「よくわからないけど使っていいわよ」と言ってくださいました。
「ただし、ここ民家が密集してるから、うるさくするのは22時までよ。」

掃除し、床と鏡を貼った後で聞くと、ちょうど左官屋さんだったご主人が亡くなってすぐの時期だったそうで、その半地下のだだっ広い倉庫を駐車場に作り変えて貸せば良いと担当の不動産屋から言われていたそうです。

それを断り、関西から来た、どこの馬の骨かわからない人間に、しかも微々たる家賃でこの18年間稽古場を貸し続けて下さった大家さんには、感謝しても感謝し尽せません。
この大家さんの愛情があったからこそ、シンクロナイズ・プロデュースはここまで続けて来れました。

稽古場模型これは、奇跡のお話です。

そうして、稽古場の大改造が始りました。


つづく
水谷 純子