愚鈍起承転浪漫譚「音楽」

アンケート等に質問が多いので、
『愚鈍起承転浪漫譚』の音楽について私はこう考え、こう演出した。
ということを書かなければなるまい。

今回も作曲家・ギタリストの東城裕之さんに作品のオリジナル曲を依頼し、
作曲・アレンジしていただいた。

並行して、
私は演出という立場から音楽を模索した。
現代のドン・キショーテだから、
スペイン楽曲にこだわることもないだろうと、
高を括ってプランを練りだした。

ドン・キショーテと言えば、
R.シュトラウス(Richard Georg Strauss)の交響詩『Don Quixote』〜大管弦楽のための騎士的な性格の主題による幻想的変奏曲〜を避けては通れぬ。
が、芝居のバックグラウンドとしてはチェロとビオラが語りすぎて、役者のセリフと喧嘩する。
部分的に使用するしかあるまい。

ドン・キショーテの神経的で起伏の激しい様相から、
G.マーラー(Gustav Mahler)だなと直感的に思いをめぐらし、ワークショップから役者には内緒で密かに試した。
セリフと音楽が寄り添い、感情が豊かに調和した。

こうなると、血が騒ぎ、無謀が始まる。
マーラー第五番第四楽章(アダージェット)を
歌にできないか。
ドン・キショーテの猛烈な愛と憐れな心情を内包する
コラールかレクイエムを挿入したい。

歌詞を作成して、東城さんに相談した。
複雑な和音でアレンジも苦戦。役者は音がとれない。
語呂が合わない歌詞にブレスができない。
弦楽でるあるから音域が広すぎて乱れまくる。
上手くなくても、祈りと力強ささえあればそれでいいんだ。
役者には音程よりも息とエネルギーを要求した。
繰り返し何度も、キー、テンポ、バランスを東城さんに調整していただいた。

マーラーの美的で狂乱の和音と呼吸が、
作品全体のリズムを構成してくれる。
それが判って、作品がつくりやすくなった。

ドン・キショーテの旅の始まりは、
ショスタコーヴィチ(Dmitrii Dmitrievich Shostakovich)交響曲第5番ニ短調「革命」第四楽章と最初から決めていた。
これに関しては、台本に唯一指定した音楽だ。
が、どのバージョンも(カラヤン・バーンスタイン・ペトレンコ・ロストロポーヴィチ・佐渡裕など)情緒的でムーヴメントに適さない。
小澤版でやりたかったが、息が高度で動きに向かない。
やっと見つけたのが、
ベルリン交響楽団(ザンデルリンク指揮)版。
今まで聞いた中で一番速く、スタッカートの効いた小刻みでインテンポな「革命」だった。
本編の冒頭をエモーショナルに彩どった。

ロシア音楽に手を付けてしまったので、逆に怖いものがなくなった。
ハチャトゥリアン(Aram Il’ich Khachaturian)
ストラヴィンスキー(Igor Fyodorovitch Stravinsky)
後半は、P.チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky)の叙情的で流麗な旋律が、
作品を効果的に導いた。

俳優陣には迷惑をかけた。
管弦楽に言葉が圧倒される。
自分の生理とは違うところで音楽に寄り添ったり反発したりしなければならない。

このあたりは、音響の宮田充規にいつもながらお任せ。
ダイナミックで、かつ繊細なオペレーションをしてもらい、そのおかげでセリフと音楽がみごとに融合してくれた。

今回、人生で一番クラシックを聴いた。楽譜も調達した。
もともと好きではあったが、芝居と共通することがあらためて認識できた。
アンサンブル、立体的構造、そしてなによりも呼吸。
管弦楽は、よく耳を澄ますと指揮者の呼吸が聞こえる。
ライヴ収録なら観客の呼吸も録音されている。
澄んだ音よりも、呼吸の強い指揮者の録音が心に響いた。
演じる方も観る方も無意識に呼吸を感じるはずだからあえてそれを選んだ。
音楽も芝居も呼吸である。
そのこだわりはいつも変わらない。

そんなわけ。
いつもながら、身勝手、気まま、我がまま、な音楽演出である。

久次米健太郎