シンクロナイズ スタジオ終了のお知らせ

シンクロナイズスタジオは、「シンクロナイズ・プロデュース」のアトリエとして
1997年5月に完成しました。
演劇、舞踊、映像、音楽、写真など、さまざまな創造活動をサポートする場所として
多くの皆様に活用いただきました。

20年が経ち、ひとつの役目を果たしたということで
スタジオを閉鎖することとなりました。

皆様には当スタジオを愛していただき本当にありがとうございました。
また、いずれ、どこかで、
創造活動を再開することがありましたら
新しい器(空間)が与えられることでしょう。

ラネーフスカヤ ああ、わたしの大切な、やさしい、すばらしい場所!…わたしの人生、青春、幸せ、さようなら!…さようなら…

アーニャ さようなら、わたしのお家! さようなら、昔の暮らし!
トロフィーモフ いざ、新生活へ!

代表
久次米健太郎

シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー 8

これまでのシンクロナイズ・プロデュースの今頃のルーティンスケジュールでは…
来年の劇場をもうすでに押さえてあって、
スタッフのスケジュールも確保して、
公演の企画書のラフ案も出来ていて、
オーディション情報をそろそろ準備して、
といった諸々がすでにスタートしていました。

私自身も、今頃に来年の舞台のスケジュールが決まっていないという体験は25年の役者人生で初めてです。
なんだかタンポポの綿毛のように、風に乗った気分とでもいいましょうか。気持ちの良いもんですね。

さてさて、6年前。
「オリジナル創作しばらくやめる」といって久次米さんが企画書をあげてきたのが「次への回路」シリーズ。
回路とは、エネルギー・物質などが出て、再び元の場所に戻るまでの道筋のこと。
文学作品を紐解き解体し演劇にするという創作スタイルは、今までと全く違うアプローチでした。

2008年
シンクロナイズ・プロデュース次への回路#1
『夏の路地』

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久次米さんの大学時代の恩師であり、非常に影響も受けた芥川賞作家である中上健次原作の「岬」「枯木灘」を礎に作った作品。
閉鎖された土地を舞台に繰り広げられる血族と骨肉を描いた逃げ場のない作品で「ほんまにこんな作品するの!」と役者全員苦しみ身を切られるような思いをしながら、小説を深く読み込み、台詞を起こし、シーンの抜粋などをして、ひとつひとつ丁寧に作った作品でした。
上演時間も休憩を挟む2時間を超える長編で、あまりに複雑な人間関係に休憩中お客様がパンフレットの相関図と睨めっこ、観終わった後はグッタリ。
今までのシンクロナイズ・プロデュースとは全く違う衝撃的な作品でした。
「血」を描いた作品だった為に、自分の出生や生い立ちを深く考えさせられました。
『夏の路地』はシンクロが最後にベニサンピットで上演した思い出深い作品となり、翌年ベニサンピットは取り壊されました。


2009年
シンクロナイズ・プロデュース次ヘの回路#3
『異邦人~エトランジェ~』

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アルベール・カミュの「異邦人」を礎に舞台化。不条理で難解といわれる作品です。
小説として読むと非常に自分とは遠い人間に、あまり共感できない人間のように感じるの人も多いと思うのですが、
主人公のムルソーは、いたって普通に隣に存在している人間だということがよくわかります。
そして自分自身の中にも「生きることは死ぬことと同じ」と熱くもなく寒くもなく日々を過ごしてるムルソーがいることにやがて気づきます。
しかしムルソーの「この世のやさしい無関心に心をひらいた」という最後の台詞、ワタクシ大好きです。
本当に死ぬとき彼は初めて生きたいという本心に気付いたからです。
この頃から、シンクロナイズ・プロデュースの舞台はまるで絵画のように美しいと評されることがちらほら。抽象舞台なのにです。
古典離れ文学離れしている昨今、良い作品にはやはり力があるし、美しいということが背景にあったかったからだと思います。


2011年
シンクロナイズ・プロデュース次ヘの回路#5
『愚鈍起承転浪漫譚(ぐどんきしょうてんろまんたん)』

 

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セルバンテスの「ドン・キホーテ」前編後編からなるものすごくぶ厚い古典を題材に久次米が現代版にアレンジしました。
ドン・キホーテは世界で聖書の次に多くの人に読まれている小説だと言われていて挑戦するにはとても勇気のいる作品なのですが、実はドン・キホーテの作品に決定したのは、3.11の後でした。
今回の吉祥寺シアターでは久しぶりに久次米さんが書き下ろす作品をする予定にしており、その題名も既に決まっていました。
それが「地球と爆弾」。
そんな題名をつけていた矢先に震災と原発事故が起こり、「現実が虚構を超えてしまった、これじゃあ芝居が作れない」と急遽作品を変更することになりました。
そして選んだのが妄想の中、愛と希望と夢を追い続ける遍歴の騎士ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ。
『どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。救いのない運命というものはない。災難に合わせて、必ず一方の扉を開けて、救いの道を残している。』と言ったドン・キホーテの言葉を借りて、これから始まるであろう困難な時代に、どこまでも「愛」で立ち向かっていく覚悟を舞台に込めた作品になりました。

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その他にも「焼け跡のイエス」「タニンノカオ」「カルメン」といった作品では今までとは違うアプローチで作品づくりに取り組みました。
これらの、次への回路で上演した作品たちは、本質をどのような表現スタイルで舞台化すれば面白いかを考えながら作った作品ばかりで、とても面白い試みとなりました。


そして今回の最終公演。
2014年
シンクロナイズ・プロデュース第28回(最終)公演
『同級生たち』

回路を辿り終えて再び元の場所に戻ってのシンクロナイズ・プロデュース最後の書き下ろし作品。

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公演にかけた思いは、毎日の稽古場日記で皆様にはお伝え出来たと思っています。


その「上演」が終わり、決算と片付けをして「公演」が終わり、そして今、18年間の稽古場の片付けをしています。
セリフにありましたが、ワタクシ、「片付けの途中で昔の手紙とか読み出して片付かないタイプ」ではないので、全部の全部捨ててます、ポポイのポイ。
まず、18年間の公演資料その他綺麗にズラッとファイリングしていたもの全部、衣装全部、大道具小道具全部、材料塗料その他全部、ドアや床や壁も全部!本気で全部捨てています。
各方面の劇団さんや演劇関係者が引き取りに来てくださっています。
この物たちがまた別の場所でいのちを吹き込まれ舞台に生かされることを本当に嬉しく思います。

そして最後に残るのは…「The Empty Spase」…何もない空間。
何もない空間に、何かが生まれる秘訣、それは、「言葉」です。
無から有を生み出す力は「言葉」です。そして、その言葉を「信じる」。と「力」になります。


設立当初から、
『シンクロナイズ・プロデュースは、 さまざまなジャンルのクリエーターたちが手を結び、その融合から新たな作品創造を展開していくことを目的に、1997年4月に結成した企画集団で、演劇を基軸にジャンルを超えた企画をプロデュースし、既成の形式にとらわれない作品創造に取り組みます』と紹介してきました。
この言葉ともお別れです。

私の演劇の先生は「演劇は再生復活の芸術だ」と教えてくれました。
何度でもやりなおしがきくごっこ遊びが原点です。
最終公演の稽古場では最年少の仲間が3歳の子供でした。
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえ こそ動がるれ。(梁塵秘抄)
お芝居だって、人生だって、何度でもやり直しがきく!

最後に皆様、本当にこれまでシンクロナイズ・プロデュースの作品を観に劇場に足を御運び下さいましてありがとうございました。
至福の時間でした。至福の18年間でした。心から感謝します。

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シンクロナイズ・プロデュース
水谷 純子

シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー7

稽古場日誌を書いているうちに、
ヒストリーいつ書くのん?と思っているうちに
あらら、最終公演が終わってしまいました。

皆様、ご来場頂きまして、本当に本当にありがとうございました。

お客様おひとりおひとりから沢山のお言葉を頂戴して、心からやってよかったと感動しています。
演る(やる)側の思い、観る側の思いが、ひっついたり、はなれたり、共感共鳴し、響きあってこその劇空間ですね!
今回の作品は、この20年間を凝縮して詰め込んだような作品になりました。
良しも悪しも、上手も下手も、美も醜も、表も裏も、全部ひっくるめて舞台にぶちまけたからこその、未来の明暗が描かれたのだと思います。
(そんな大層だったか?)

ヒストリーもうちょっと書きます、書かせて下さい。

さてさて、8年前。
ベニサン・ピットでの上演を再び許されての公演3連チャン。

2006年2月シンクロナイズ・プロデュース第16回公演『最初で最後の晩餐』

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今気付いたのですが、この作品、上演当時から20年前の高校時代を振り返る作品でした。
シンクロナイズ・プロデュースは今回といい…結構振り返ってますなぁ。


supper_08185年はバブル真っ最中、タイガース日本一、その20年後は、勝ち組負け組み、地震、テロ、偽装偽造、タイガーズ惨敗…ふと見渡せば360度、虚無感に覆われ始めていました。
そんな時代を投影したノスタルジックな作品。
私は役作りのため美容室で80年代アイドル年鑑を片手に「聖子ちゃんカットではなく明菜ちゃんカットにしてください」と恥ずかしいお願いをしたのも、今はいい思い出。


2007年1月シンクロナイズ・プロデュース第18回公演『生まれし君に、伝えたかったこと』
born_084 離別した両親の元で別々に育った兄弟が再び出会う家族の話。
父に育てられた娘、母に育てられた息子、周りを取り巻く人々が其々の場所で生きている様を優しく描くヒューマンドラマ。


余談ですが、シンクロナイズ・プロデュースの作品群の特徴に「ムーブメント」というものがありました。
2008年以降の次への回路シリーズにはパタッと登場しなくなりましたが、この「ムーブメント」、どんなものかといいますと、まるで映画のスローモーションのような動きで人々が交差する、「群像風景表現法」とでもいいましょうか。
訓練にはそれなりの大変さが伴い、あるプロのパントマイマーが観て「いったいどういう動きでしているの?あんなノスタルジックなスロー歩きを見た事がないよ」といわれたことも。
 born_105これはシンクロナイズ・プロデュースの発明の一つでした。
映画監督ジムジャームッシュの「パーマネントバケーション」オープニング、街の人々が行き交うシーンを動きの参考に して、初めて原型が登場したのは第3回公演「empty」。
そこから始まった「ムーブメント」は10年の月日をかけて徐々に進化を遂げ、久次米さんが「これ以上もこれ以下もない」と言って終止符を打った完成形が、この『生まれし君に、伝えたかったこと』のラストシーンでした。

2007年8月シンクロナイズ・プロデュース第19回公演『「おしっこ」僕のヒーロー探し』

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詩人の谷川俊太郎さんの詩「おしっこ」をモチーフにイメージを膨らませた作品。

「おしっこ」の詩はこちら

久次米が俊太郎さんに面と向かって「おしっこさせてください」と、他人様が聞いたらギョ!のお願いに「いいよ」と快諾を頂いての上演と相成りました。


初めて芸術文化振興基金を有り難く頂戴しての公演は、平和ボケ日本を批判した日本語をほとんどしゃべらない「外国語のような出鱈目語」で全編貫き通す、キワめて演劇的なキワモノ作品。
助成金使っていいのだろうか?
 oshikko_024主人公が日常を抜け出したいと漠然と思い、漠然と海外に行き、いろんな国をいきあたりばったりに漂流し、何も見つけないで漠然と日本に帰ってくるという、恐ろしく平和な作品。

作中ではいつまでたっても日本語を喋らないので、(もちろん字幕もない)お客様はは多大な想像力を働かせて観るしかないという大きな負担を強いる作品でした。
でも、日本人が海外に放り出されたら、そんな感じでしょ。
いまだに隠れ「おしっこ」ファンが多いのもこの作品の面白さを物語っています。


久次米は、実はこの頃から「ヒューマンドラマ」の作・演出に飽き飽きしていたと、私は分析しています。

そして、
2008年1月シンクロナイズ・プロデュース第20回(10周年記念)公演ピッコロシアター鑑賞劇場『約束』
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神戸の震災をモチーフに描いた久次米の代表作を、関西の故郷ピッコロシアターで再演することが出来ました。

ピッコロシアターのブログはこちら

この約束という作品、何もない空間(empty space)に細いシルバーの棒だけで空間を作っていきます。


このシンプルな空間で繰り広げられる映画のカット割りのような短いシーンの連続が、余計な背景を一切排除し、人と思いと記憶だけが闇の中から浮き彫りになる効果を生み出していています。
お客様から最も再演の希望を頂く作品ではありますが、役者にとっては最も再演したくない作品なのです。
なぜなら…棒の稽古が大変!めっちゃ大変!死ぬほど大変!と出演者全員が口を揃えて叫ぶほど大変だかです。
promise2_179絶対に失敗出来ないという重荷を各々背負わされ、その失敗を誰もフォローすることが出来ないという、絶体絶命の綱渡りを2時間架せられ、これ以上口では説明できません。
自分が演技をしている間だけが一番緊張しないホッとする時間だなんてこ と、ありえますか!?無理無茶難題を平気でやらせる鬼演出家め!

でも、そこまでして一切の妥協を許さなかった「約束」という作品は、シンクロナイズ・プロデュースの久次米作品の集大成としてひとつの区切りを付けました。


このあと、「創作しばらくやめる」宣言をした久次米さんは、原作を舞台化する試みに挑みます。
それが、シンクロナイズ・プロデュース「次への回路」シリーズでした。

つづく。

シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー6

稽古場日誌の合間をぬって…
シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー6です。

「ベニサン・ピット」は演劇人の憧れの劇場でした。
ニナガワ・スタジオ、T.P.T.、二兎社が拠点とし、
1985年以降の演劇シーンに大きな影響を与える実験的な演劇作品が次々と生まれた、
演劇人には敷居の高い(クオリティの高い)劇場でした。
そこは、「現代演劇」の聖なる場所だったのです。

さてさて、11年前。

銀座や新宿の小劇場で上演してきたシンクロも、だんだんとお客様が増えてきました。

「もうちょい大きい劇場でやりたいね」
ということで、100~200人収容の劇場を探し始めました。
とにかく東京は土地代が高い!ということは劇場費が高い!!という理由で、この100~200人というキャパシティは一つの区切り線でもありました。
この人数のお客様を1週間ほど劇場を借りて集客するためには、それなりの制作力が必要になってきます。候補の劇場を検討しながら試算しましたが、なかなか目ぼしい劇場が無い。
ただ条件が見合ったら良い訳ではなく、その劇場がシンクロ作品の雰囲気にマッチするかどうかが最も重要なのです。私に無謀な願いが湧き上がりました。

「ベニサン・ピットで演りたい」

benisan_01演劇の聖地ベニサン・ピットはそれはそれは凄い劇場空間でした。
劇場そのものがなにか生き物のようで「演劇の神様」が住んでいるようでした。
シンクロがそこでやりたいなんて、身の程知らずもいいところ。
でも、「駄目で元々!」と制作に何度もしつこく電話をかけてもらうようにお願いしました。

ベニサン・ピットの劇場支配人の瀬戸さんは一筋縄ではいかないことで有名でした。
あたって砕けろは全く通用しません。たとえ有名人だって気に入らなきゃ平気でお断りされる方です。
それが、何の間違いか隙間の3日間だけ貸してもらえることになったのです。

「やったー!!」私たちは、早速企画を練り、出演者オーディションをしました。
この時から、男性の役者も出演するようになりました。

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シンクロナイズ・プロデュース第12回公演
「僕が、木漏れ陽の道を歩くとき」
於:ベニサン・ピット



人生をなんとなく他人事の様に生きている主人公と、その周囲の人々を描いたこの作品は、
日常ディテールを細かく描くことで、劇場を出た後も芝居の延長線上に日常生活があるような錯覚を抱く作品でした。
ここで作ったモチーフたちはその後2007年の「生まれし君に、伝えたかったこと」という作品で再登場することになります。


しかし…とにかく必死でやり終えた私達は、
どうも気づかないところで支配人さんを怒らせていたようで、
「二度とお前んちには貸さない!!」と劇場から追い出されたのでした。
唖然。

せっかく頂いたチャンスを何の不手際か無駄にしてしまい、もう二度と使わせてもらえない。私のショックは相当なものでした。
また、振り出しに戻って劇場探しです。
悔やんでも悔やみきれない、諦めたくても諦めきれない。怒らせてしまった理由が分からない。ああ神様リベンジのチャンスを下さい!!

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シンクロナイズ・プロデュース第13回公演
『踊るご老人』
於:アイピット目白


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シンクロナイズ・プロデュース第14回公演
『約束』
於:中野ザ・ポケット


この『約束』という作品、神戸の震災をモチーフに描いた久次米の代表作ですが、その初演を、ある有名俳優さんが出演者の関係者として観に来てくださいました。
そして、観劇後大変なお褒めの言葉を頂きました。その俳優さんはベニサン・ピットで上演される数々の名作にも出演されており、支配人とも懇意にされていました。
どうにかしてもう一度支配人にお目にかかって頭を下げてお願いしたいと思っていた私達は、切羽詰って、無謀にも劇場出入り禁止になったことを相談させてもらいました。
すると、その俳優さんは一筆書いてあげるよ、と言って支配人宛てにお手紙を書いてくださいました。

「-彼らは、とてもいい芝居を創っています。是非話を聞いてやってもらえませんか-」

そうして再びお会いすることを許された私達は、震えながら劇場に会いに行きました。
支配人がその手紙を広げながら、「しょうがないから、まず公演を見せなさい」とおっしゃいました。
こんなことってあるだろうか!?ありがたくて、ありがたくて、心臓はどきどきです。

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シンクロナイズ・プロデュース第15回公演
『恋愛家族〜死に急ぐ少年達のポリフォニー〜』
於:アイピット目白


この作品は、少年事件、法務教官と少年の面接が続くシュチュエーションを通して、その頃世相を色濃く描いたものでした。
作品の出来はなかなか良かったのですが、お客様が身動き出来ない程パンパンで立ち見の回もあり、これでは折角観に来てくださったお客様に申し訳ない。
劇場のキャパシティは限界でした。

観劇後支配人は、「台本はなかなかいい。あれじゃあお客がかわいそうだ。おれんち使っていいよ」とおっしゃって下さいました。
私は、うれしくて、ありがたくて、泣きました。
それからの4年間、本当に感謝しても感謝しつくせないくらい良くしてくださり、色々な話を聞かせてくださり、相談にも乗ってくださり、毎回毎回、公演の際には役者スタッフ全員にご馳走を振舞って下さいました。
benisan_02ベニサンピットでの公演

「最初で最後の晩餐」(2006年)
「生まれし君に伝えたかったこと」(2007年)
「おしっこ」(2007年)
「夏の路地」(2008年)


演劇を愛し、舞台人を愛してくださった瀬戸さんは、本当の意味での昔堅気の「劇場支配人」だったと思います。
2009年1月ベニサン・ピットの閉鎖は演劇界でニュースになりました。
私達も次年度公演を予定していたため驚きましたが、それでもベニサン・ピットを最後まで使わせていただいて創った作品達は、シンクロナイズ・プロデュースの宝物です。

つづく
水谷純子

シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー5

近年のシンクロナイズ・プロデュース、出演者は女優よりも男優が圧倒的に多い。
男優が多いと舞台も力強く、演出的にもダイナミック、裏方では力仕事をお任せできるので、女優陣はありがたいのですが、その半面、稽古場はむさ苦しく、そして少々お下品になることも。
まぁそれでも、シンクロの稽古場は上品な部類だとは思うのですが…(笑)

冬の花火

さてさて、13年前。
そんなシンクロナイズ・プロデュース、実は初期は女優だけのお芝居を創っていました。
女優二人で演じた「empty」の後、2000年1月には女性が5人に増えて「冬の花火」という作品がアトリエプレビューとして上演されました。
親の命日に久しぶりに実家に集まる5人姉妹のお話。
この作品、殊の外評判が良く2002年に劇場版として再演されました。
それまでアトリエプレビュー(稽古場公演)を重ねてきたシンクロナイズ・プロデュースも、2001年から劇場で公演をするようになりました。

kyo-ko2001年1月 シンクロナイズ・プロデュース第7回公演 「Kyo-ko」
作・演出:久次米健太郎
出演:井上加奈子 水谷純子 西村いづみ 上仁牧子 薬師神みゆき

この作品は、おばあちゃんの少女時代と現在が交差して綴られるものがたり。蘇州夜曲が全編に流れ、ノスタルジック、お客様は最後涙がぽろり。

ドラマ(Drama)には、よくヒロイン(Heroine)という女性キャラクターが出てきます。
悲劇の女性や主人公のの恋人など、きっと皆さんも「ヒロイン」という言葉を聴くと何か漠然としたイメージが思い浮かぶと思います。
朝ドラのように、きっと男性から見る女性には理想化された「夢」があるのでしょう、女性だって「ああ、あんな素敵な女性になりたいわん」と思うわけです。
が、しかしです。
シンクロの作品に登場する女性たちには、そんな美しい夢はかけらもありません。あしからず。
作・演出家久次米さんの女性に対する目、理想も夢もへったくれも全く無いのが作品によくでています。

夜明けの前に 1例えば…
第8回公演「夜明けの前に…」という作品は、場末のバー、台風で客が1人も来ない大嵐の夜、ママとホステス達がそれぞれの背景を抱えながら、泣いて笑ってけんかして、人生の岐路を愁ふ出会いと別れの素敵な作品なのですが、出てくるキャラクターは面倒くさい、どんくさい、うさんくさい、うるさい、滑稽な女性達。


夜明けの前に 2~稽古風景~
西村:セリフの練習をしながら登場「わたしはかもめ、わ・た・し・は、かーもめ、かもめ」
久次米:「ち、ちょっと、いずみちゃん、ブラジャーの肩紐パチンパチンいわせながら出てきて!」
西村:「は??なんて?」
久次米:「女の人、ブラジャーの紐直したり、パンツの食い込み直したりするとき、よくゴムパチンっていわすやろ、あれやって」
西村:「むむ。わかったわ。」
西村:セリフの練習をしながら再び登場「わたしはかもめ、」パチン「わ・た・し・」パチン「は、かーもめ、かもめ」パチン
これが、男性客だけに大うけ。
女性客は「?」って感じ。これで、西村の演じた役柄が一発で見えました。
オーディションのセリフの練習をしている女優志望のホステスさんという役の箱書きよりも、この女性の粗雑な感じが出ることで、なぜ、オーディションに落ちてばっかりかまで、無意識のうちにお客様は想像することができます。
小説でもない朗読でもない、演劇の身体言語たる所以です。

夜明けの前に 3この作品で一番大変だった稽古は、全員カップラーメンを食べながら、このセリフ稽古を聞いてあげるというシーン。
いろんなことを同時にしながら、気が散って、話が脱線していくという、これも、女性ならではの重要なシーン。
誰かがズルズルいってすすっている間に、セリフを言いながらズルズルして、るときに肉と卵を交換して、るときに本のページをめくりながら、ズルズル、それではあかん、動物の鳴きまねしたらえーねん、わたしがやったる、あんた見とき、ズルズル、寒い国の話やからロシア風に巻き舌でせりふ言えばいいで、トゥルゥ、トゥルゥ、ズルズル…
これを4人の掛け合いで毎回同じタイミングで食べる量まで決めて演じるとなると、稽古で食べたカップラーメンの量たるや…。
無対象で稽古して成立するような簡単な芝居ではなかったのです。
このおかげで、上仁さんは一生カップラーメンが食べたくないからだになってしまうという後遺症付き。

久次米さんの女性の本質を描く演出が、溜息の向こう側に、なんともいえない愛らしさと強さを浮かび立たせ、そして女性という生き物がなんだかいじらしい愛すべき存在に思われてくるのです。
観劇後、お客様は家に帰って妻を見ながら、彼女を見ながら、母を見ながら、優しく苦笑いするのです。「しゃーないなぁ」と。

そんな女優だけのお芝居が、2002年の第11回公演まで続きましたが、「女だけもうあきた、地球には男もおる」ということで、ついに男性が登場します。

つづく
水谷 純子

シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー4

今回の顔合わせは、いつもと違うあいさつが聞こえます。
「おはようございます~」に混じって「おかえりなさ~い」。

今回、シンクロナイズ・プロデュース設立メンバーだったかなちゃん(女優の井上加奈子さん)が、数年ぶりに舞台に「おかえりなさ~い」します。
傍らに、その手を握りしめるもうひとつのちっちゃなおててが。つぶらな瞳で「オカアチャン!」

演出家は出演者全員に一言脅し。
「全員でお育てするように。おちびが泣いたら芝居がおもろないってことやからなっ!」
稽古が始まると、そのおちびはどんな大人よりも稽古を楽しんでいて、さすが親の血やなぁ
「三つ子の魂百まで」あーあ、えらい所に連れて来てしもたね。

さてさて、16年前。
順風満帆でスタートしたかに見えたシンクロナイズ・プロデュースは、直ぐに困難に直面します。
第3回公演の稽古中、初期メンバーが一気にやめるということになりました。
それは、存続の危機でした。
理想と現実の間には「お金」という巨大な壁が立ちはだかっていたのです。

残ったメンバーは、代表の久次米、制作の土屋さん、照明家の芦辺さん、女優の井上と私(水谷)の5名。
スタジオ公演をできるようにと、それなりのお金をかけて稽古場を改装しました。
また、次回公演に押さえていた劇場のキャンセル料金がかかります。
その上、毎月の稽古場家賃。東京に来たばかりで仕事もなく、バイトできる時間も芝居で限られていて、絶体絶命のピンチでした。

青ざめた顔で私たちは話し合いを持ちました。
「稽古場改装費の返済と劇場費の返済、そして稽古場の家賃…家の家賃もあるのに…これじゃあ芝居がやりたくても出来ない。
折角改装までしたけれど、稽古場を手放せば少なくとも毎月の家賃はなくなるよね…」
話し合いでは、ほぼ9割方「続けるのは無理」という結論でした。
私は泣きながらこれからの人生を想像しました。
天から降って湧いたような稽古場を手放す?じゃあいったい何のために与えられたの?
芝居も出来ないのに返済だけが残るの?これこそ本末転倒じゃないの?
ああ、空しい空しい空しい。苦しくても芝居さえ続ければ、稽古場だって生きるじゃないか!
「死ぬ気で働いて、そして死ぬ気で芝居を続けるしか、それしか希望の道はない」
そう5人で決断して、未知の道を歩き始めたのでした。

そうして、やっとの思いで立ち上がり、必死にもがき、すがるようにして作った作品が、
1998年7月
シンクロナイズ・プロデュース第3回アトリエプレヴュー「empty」
構成・演出:久次米健太郎
出演:井上加奈子 水谷純子

演出家と役者2名、たった3人の稽古場はまるで深い海の底。empty_019
外界から隔たれた空間で、孤独と戦いながら行なわれた稽古は、
一言一句、一挙手一投足に駄目を出され、心の奥底までえぐられ、打ちのめされ、それでも立ち上がる、そんな命がけの稽古。
やっと、やりたかった「本当の稽古」がこんな状況で叶うとは。
凝縮されたその稽古で、作品に現れてきたものはなんと「におい」でした。
真夏のにおい、砂地の匂い、アスファルトの匂い、古いアパートの匂い、万年床の匂い…アジサイの匂い…
「empty(空っぽ)」の中に存在した目に見えない何かは、2人の登場人物が生きている匂いそのものでした。

上演間近になり、関西からはるばる舞台監督の青柳君と音響の宮田君が助っ人でやってきてくれました。
力強いこの2人、巨大なノッポと痩せのノッポ、共に大食らい。
かなちゃんと私は相談し、今できる最大のおもてなし、「そうだ!素麺茹でよう!」
「素麺やったら木箱であるわ!足りるかな~?」そういって茹でた素麺はバケツいっぱい。
「おお、うまいうまい」
と最初は急ピッチ食べてくれていたものの、バケツの中の素麺も急ピッチでどんどんふやけて、ちっとも減らない。
味を変えたら食べれるで~!とパスタソースの明太子味、ペペロンチーノ味、ポン酢味…
これはいける!これはまずい!と言いながら笑いで腹を満たす超ボンビーたち。

empty_005舞台装置は客席と舞台を隔てる一枚の薄い紗幕のみ。
空っぽの舞台。
上演前には強烈な雷鳴。まるでこれからの嵐の幕開けを告げるような大音量に身震いし。
そして、静かに静かに「empty」の舞台は、稽古場でひっそりと上演されたのでした。
観客の数はスタッフの数と同じ、たった5名。
がらんどうの客席に向かって精一杯演じた、これがシンクロナイズ・プロデュースの本当のはじまりでした。

つづく
水谷 純子

シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー3

昨日、(2014/06/21)は、シンクロナイズ・プロデュース第28回公演(プロデュース最終公演)の顔合わせがありました。

いつもそうなのですが、久しぶりにシンクロナイズの稽古場に「おはようございます~」と続々と集まってくるその姿は、ちょっと照れくさそうに、初々しく、そう! まさに夏休み明けの新学期のような顔で参集するのです。
年齢は違えど、まるで「同級生たち」のような。


初演前のスタジオ

初演前のスタジオ

さてさて、17年前。
あれよあれよと稽古場の大改造を経て、立派にスタジオ公演が出来るまでの環境を整えました。
創立中心メンバー10名の他に、関西からも久次米さんの同級生たちを中心に助っ人ダンサーたちも加わっての旗揚げ公演でした。
信じられない贅沢な人材と環境。


シンクロナイズ・プロデュース第1回スタジオ公演、初日、開演。

開演前の音楽『カルミナ・ブラーナ(ラテン語:Carmina Burana)』が大音量で鳴り響く中、暗転。
冒頭ムーヴメント(舞踊シーン)スタート…
すると、スピーカーから「ボンッ」、という変な音。

え・・・・?!

オープニングの音楽が消えてなくなりました。
そう、それは、CDデッキが「goodbye」した音でした。

役者人全員に一気に緊張が走り…スタッフ全員に焦りと冷や汗…
「やばい、どうしよう」

作品はミルトンの『失楽園』を題材にしたもので、舞台道具を一切飾らず、身体表現と言葉だけでストーリーを物語る作品で、
いわゆる舞台空間のイメージは全体の動き(ムーヴメント)で音楽に合わせて舞踊的に振り付けられていました。

舞台には魔物が住んでいるから、思いがけないアクシデントや事故はつきものと、常々覚悟はしているものの、
まさか最初の最初で音楽が鳴らないなんて!そんなことが本当にあるなんて!旗揚げ一発目でこけるとは!稽古してきたものが一気にガラガラと崩れ去る瞬間。

「どうする?」
頭の中は走馬灯のように駆け巡ります。

音楽を中心に作品が作られている為に、音楽が鳴らないことは致命傷だったからです。

しかし、舞台の幕は開いてしまった。
舞台人の暗黙のルールは、「お芝居は人生と一緒、一度始まった舞台は何が何でも続ける」。
虚構の世界だからこそ、覚悟を持って本気で最後までやり遂げなければならない宿命です。目の前にはお客様。

「無音でやる」

瞬間的に覚悟を決めました。

稽古はやるだけやった。動きもタイミングも身体に入っている。
ならば、あとは、全員の呼吸を合わせれば出来る、きっかけは呼吸でとる。
小さな声で、「大丈夫」と言ってから、舞台上に出て行きました。
振り付けのタイミングタイミングでお客様に聞こえない程度の「シュッ」という息の合図を出しながら、全員の呼吸を合わせてムーヴメントは進んでいきました。
そうして、最初から最後まで一切音楽が鳴らない無音の舞台は、役者の「からだ」と「ことば」と照明の「光」だけで幕を閉じました。

終演後お客様に、
「こんなに静かな舞台を見たのは初めてだ」
「舞台では常に音楽が鳴っているのに慣れてしまっていたから、無音がすごく新鮮だった」
「無音の音楽が流れていた」
という、言葉をかけてもらいました。何よりのなぐさめでした。

今から思い返すと、青臭くて、思いだけが強い、つたない、稚拙な舞台だったとは思うのですが、
それでも奈落に突き落とされたような最悪の始まりに舞台度胸がついた私たちは、その後何度となく訪れる舞台の魔物に立ち向かうことが出来たのだと思います。

大丈夫だと「信じる」こと。
それは、全て稽古にかかっています。
全身全霊をかけて稽古に向かう。すると、作品は作品になろうとする。その作品に賭する。
稽古(練習)があっての上演(本番)なのですから。

それにしても、ミルトンの失楽園は創世記をテーマにしたお話。
楽園を追放されたアダムとイヴの世界は光と闇と言葉だけだったろうから、最初「音楽」はなかったのかもしれないなと、今更ながらふと思います。作品的には正解だったのかもしれません。
ちなみに終演後「あ~怖かった」と泣きながら、2ステージ目からは無音で演じる度胸はこれっぽっちも無く、スピーカーから「音楽」が鳴り響く中で作品を上演しました。

シンクロナイズ・プロデュースの公演は、そんな波乱の幕開けだったのです。

つづく
水谷 純子

シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー 2

シンクロナイズ・プロデュースを終了すると告知をしてからこの2週間、
ほぼ毎日のように関係者から連絡をいただき、時間の許す限り会って事情を説明しています。
ふり返れば、この18年間で仲間と個人的に外で会って話をすることは皆無でした。
シンクロナイズはいつもそういうスタンスだったのです。

しかし、今回改めてひとりひとりと話をするうちに、本当に沢山の人々がこの場所に集ってきたのだなと感慨深くなりました。
やはり創造現場は喜びも悲しみも光とされる素敵な空間だったのでした。そして、これからはまた新しい繋がりに変わっていくのだと、嬉しくもなりました。

さてさて、前回の続き。
18年前に戻ります。

『シンクロナイズ・プロデュース』という名前が決まり、コンセプトも決まり、参加してほしいメンバーにも声がけをし、だいたいの目処は立ってきました。
あとは、どこでやるか。
活動拠点を探さなければなりません。

私の恩師は、「お芝居するなら、まず拠点を持ちなさい」と常々若手に教えていました。
その言葉を鵜呑みにし、「まず稽古場探さな!」ということで、その前に「まず家探さな!」ということで、地図を開きました。新しい活動は新しい場所で始めたい。

東京に来て1年目、多摩川沿いの狛江という町に住んでいた私は、ビルばかりの都内の空になじめず多摩川の空の広さにホッとしていました。
ですから、引越し先は多摩川のそばがいいな~と、それだけを決めていましたので、多摩川が流れている場所の地図のページを開きました。
アホみたいで嘘のような話なのですが、私は人差し指をペロッとなめ、天を見上げて指を差し上げ、そのまま目を瞑って、指先だけを地図の上に下ろしました。そして、地図に目を下ろしました。
「二子新地」
に指先がありました。
そうして、どっちにしろ、どこにいっても良いのだから、行った事も降りたことも無い「二子新地」の駅に行ってみようということで、二子新地駅に降り立ちました。

当時、久次米さんは設立メンバーの後輩作家、後輩俳優との三名でのルームシェアを検討し、同じく稽古場に近い家を探していました。

私たちは、旧大山街道をなかなか素敵な道だな~と思いながらテクテク歩いて、二子新地~高津~溝ノ口まで行きましたが条件に合う良い物件はありません。高津駅に戻ると、2軒並びの小さい不動産屋があって、その片方がどうしても気になり入ってみることにしました。
すると、出迎えたのはチャキチャキの女性の社長さんでした。

「どういう物件探してるの?ふんふん、条件にぴったり合う物件が今建設中よ!新築だけど下が店舗でワンフロア2世帯だけだから、夜中にうるさくしても大丈夫よ!おじょうちゃんは1DKの方、久次米さんは2DKの方、ばっちりじゃない!夢があるんだったら、予算よりちょっと高い物件にしなさい!さあ、見に行きましょう!」

ということで、見に行きあっという間に契約しました。予算は大幅越えでしたが、しかし、が、がんばるしかない!

ということで、無事「二子新地」のに住まいを移した私達は、マンションのこれもまたチャキチャキの女性の大家さんに挨拶をしに行きました。
すると久次米さんが会って早々「僕達、演劇をやっているので、どこかこの近くに稽古場になるような場所ないですかね~?」と言いました。
「この人、誰にでも遠慮なくて図々しいな~」と心ひそかに思っていました。だって、稽古場なんてそう簡単に見つかるもんじゃありませんからっ。
どこの劇団も稽古場無くて困り果てているのですからっ。
関西からは、仲間が着々と二子新地周辺に住まいを移動し始めていました。

さて、1週間後。工事前の稽古場
大家さん「稽古場みつかったわよ」
私たち「え“えええ~~!!!!ほんまですか~~!!!!」
大家さん「近所の左官屋さんの倉庫なんだけど、話しといたから紹介するわ」
そういって、紹介されたのは、現在の稽古場がある建物の今まで以上に輪をかけたチャキチャキの女性の大家さんでした。
「とにかく、何やってるか分かんないから、その稽古とやらを見せてくれる?」倉庫に集まったメンバー

そう言われた私達は、左官道具のいっぱいで埃まみれの半地下の倉庫で、基礎訓練とちょっとしたエチュードを見てもらいました。

腕組みして何にも言わずじっと見ていた大家さんは、「ラーメンの出前取ってあげるから食べる?」と言いました。
ボンビーで腹ペコの私達は大喜びで頂きました。
そうして、大家さんは「よくわからないけど使っていいわよ」と言ってくださいました。
「ただし、ここ民家が密集してるから、うるさくするのは22時までよ。」

掃除し、床と鏡を貼った後で聞くと、ちょうど左官屋さんだったご主人が亡くなってすぐの時期だったそうで、その半地下のだだっ広い倉庫を駐車場に作り変えて貸せば良いと担当の不動産屋から言われていたそうです。

それを断り、関西から来た、どこの馬の骨かわからない人間に、しかも微々たる家賃でこの18年間稽古場を貸し続けて下さった大家さんには、感謝しても感謝し尽せません。
この大家さんの愛情があったからこそ、シンクロナイズ・プロデュースはここまで続けて来れました。

稽古場模型これは、奇跡のお話です。

そうして、稽古場の大改造が始りました。


つづく
水谷 純子

シンクロナイズ・プロデュース ヒストリー

『みなさんに、お知らせ。
シンクロナイズ・プロデュースは、次回9月の公演を持って最終公演とします。』

と、代表の久次米から「ひっそり、あっさり」告知がされました。
もちろん、主催者のひとりである私の思いも共有されています。

さてさてさて、
急な告知にびっくりしたこれまでの関係者からご連絡をいただきました。
関係者 「なんで?なにがあったの??どうして!?」
主催者 「しいていえば、何の問題もないよ。それが答え。」

実は、3年前頃から私の中では終わりが近づいてきているような予感がありました。
それは、まだ、もやもやとした煙の様な存在で、
「いったいなんだろう、これを見逃すまい」と目を凝らしていました。
それは、憂いと喜びが入り混じったような、切なくて甘い、孤独の感覚でした。

シンクロナイズ・プロデュースを発足してから、今年で18年目です。
ですが、シンクロナイズ・プロデュースの発足の種(きっかけ)は、
1995年の阪神淡路大震災でした。

当時、兵庫県の劇団にいた私たちは、震災に遭遇しました。
今でこそ、地震はあまりにもあたりまえになってしまいましたが、
その頃は、まさかの大災害に遭遇するなどということは思いもよらず、
その衝撃はすさまじく、ひよっこの私の芝居観を打ち砕くに十分でした。

震災直後、劇団員の皆とリヤカーを引き、衣装を詰めたリュックを背負いながら、
悪臭と密集の中、猫の額ほどの場所で子供たちに青空演劇を巡り届けました。
暴れる子供の手をとり「こら!」と怒ると、
「おかあさん下敷きになってん」と言いました。
泣くのをぐっと我慢して、笑いながら「馬鹿」になって演じ遊びました。
そして、これが「お芝居の原点」だと気付かされたのです。

ピタゴラスは、人間の3つの必要を説いています。
「身体のために病院」
「心のために劇場」
「頭のために学校」

「心のための劇場」だということはわかったけれど、
私なんかにいったい何があるのか?
空っぽで、何にもないじゃないか。
本当の稽古がしたい
本当の芝居がしたい
本当の作品がつくりたい

そうして、恵まれ守られ与えられていた環境から、旅立つ決断をしました。
あまりにも青くて身勝手な決断だったので、
私を見出し育ててくれた「先生」にだけは、ご自宅まで伺い土下座しました。
どれだけ愛して下さっていたか、正直、決断が揺るぎました。
酔っ払って「もう寝る」と寝てしまった先生のご自宅を出る時、
奥様が「さみしいだけよ、応援してるからね」と言ってくださいました。
それが、1996年23歳の春でした。

そうして、何も持たなくなった私は、はじめて孤独とお友達になりました。

一方、同じく東京に出てきた久次米さんは、
大学時代の仲間といつか芝居作りをするという約束がありました。
久次米さんと私は目的を同じくして、
ほぼ毎日のように夜中のファミレスで朝までミーティングをし、
ゼロベースから芝居作りの立ち上げ準備をはじめました。
それは「もやもやとした煙のような存在」を見きわめる時間でした。

そうして、見えてきたものは、
合言葉
『やりたい人が、やりたいようにやる。所詮お芝居なんだから』
ルール
1)劇団組織ではないこと
2)ブレーン(発足人)を決めること
3)あらゆるクリエーターが集うのゆるやかな演劇を母体とする集合体であること
4)創作だけで人と人が繋がること
5)稽古場で出た問題は、必ず稽古場の中で解決すること

まずは、活動するために「名前(屋号)」をつけよう。
これは、identityだから、とても重要。
お客様と一緒に何を生み出したいか、をイメージした時にきた願いが
・劇場という空間で、そこに集った人たちが共鳴共感し、同時性を持つこと
・別々のことがひとつにまとまること
それをプロデュースするということで
Synchronize Produce(シンクロナイズ・プロデュース)
としました。

そうして名前が決まり、シンクロナイズ・プロデュースは生まれました。

 『一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただの一粒のままである。
 しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。』

今回のシンクロナイズ・プロデュース終了の決断は、私にとって喜びです。
死ぬことは喜び、次のいのちが生まれる喜びです。

今年に入って、「時が来た」と確信しました。理由は、たったそれだけです。

18年間でシンクロナイズ・プロデュースの活動の「スタイル」は確立しました。
ということは、「古くなった」ということです。
古くなったものは、いちはやく土に返すのが一番いい。
次に芽吹くのを信じて。

続く

PS:
代表で作・演出の久次米氏は台本執筆に集中している為、
一応なんちゃってプロデューサーだった私が、
独断と偏見でシンクロナイズ・プロデュース・ヒストリーを語ろうかと。
正当なヒストリーは、公演終了後、久次米さんが語ってくれることでしょう。

水谷 純子

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